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東京高等裁判所 昭和45年(行コ)66号 判決 1973年11月29日

控訴人(原告) 日立工機株式会社

被控訴人(被告) 東京法務局供託官 伴義聖 外二名

主文

原判決を取消す。

被控訴人が控訴人に対し昭和四一年五月二七日付でした三菱信託銀行株式会社発行に係る貸付信託受益証券(第一二一回ろ号・ろ5B第一二一三三号額面金額一万円)に附着された昭和四〇年一〇月二〇日渡分および昭和四一年四月二〇日渡分の各収益票払渡請求却下処分を取消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は左に付加するもののほかは原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

一、控訴代理人の主張

別紙昭和四六年一二月二日、同四七年二月三日および同四八年三月二七日付各準備書面記載のとおり。

二、被控訴代理人の主張

別紙昭和四七年四月一八日および同四八年五月二二日付各準備書面記載のとおり。

三、証拠<省略>

理由

一、控訴人が昭和四〇年四月二日、東京地方裁判所昭和四〇年(ヨ)第二八三三号不動産仮処分申請事件について、堅山一好のために、保証金に代えて三菱信託銀行株式会社(以下三菱信託銀行という)発行にかかる貸付信託受益証券(第一二一回ろ号・ろ5B第一二一三三号額面金額一万円)一枚を東京法務局に供託し、(供託番号昭和四〇年度(証)第二六号)、昭和四一年五月二六日同法務局に対し右受益証券に附着されていて、すでに支払期の到来している昭和四〇年一〇月二〇日渡しと、昭和四一年四月二〇日渡しの各収益票の払渡しを請求したところ、被控訴人が同年五月二七日附で、収益票は、受益証券から分離独立した有価証券ではないとの理由によつて右控訴人の請求を却下するとの処分をしたことは当事者間に争いがない。

二、控訴人は右被控訴人のなした処分は違法であると主張するので判断する。

(一)  控訴人は本件収益票は有価証券であると主張するが、右主張は採用し難い。この点に関する当裁判所の判断は、原判決一一枚目裏一〇行から一三枚目裏九行目まで、(但し同行に「到底許されず、収」とあるを削除し、右個所に「できない」と加える)の判示と同旨であるからこゝにこれを引用する。

(二)  次に控訴人は本件収益票の払渡請求は供託法の規定に照らし容認さるべきものであると主張するので判断する。

成立に争いのない乙第一号証の一および二(同号証の二については原本の存在とその成立につき争いがない)ならびに本件口頭弁論の全趣旨によると、本件各収益票は三菱信託銀行が大蔵大臣の承諾を受けて作成した貸付信託約款に基づき無記名式受益証券(本券)の下部に本券から分離できるようこれに附着して発行されたものであり、昭和四〇年一〇月二〇日渡分および昭和四一年四月二〇日渡分のものであることが認められる。

前掲乙第一号証の二、各成立に争いのない甲第八号証ないし同第一四号証(甲第一一号証は一および二)および乙第三号証の一によると、前示約款には信託財産から生ずる収益はー中略ーすべて受益者に分配する(第一七条)、収益は毎計算期日の翌日から収益票と引換えに金銭をもつて受益者に支払う。但し記名式受益証券の受益者に対しては領収証と引換えに支払う(第二〇条)ものとされており、現在においては三菱信託銀行をはじめすべての信託銀行においては収益票の持参人に対しては本券の呈示を求めることなく、収益金を支払う取扱が実務上確立しており、それが受益者、委託者の分配金の受領、支払事務を円滑にしているものであることが認められる。無記名式受益証券に附着した収益票について右のような約款の定めおよび実務上の取扱がなされていることからみて右収益票は、その性質上流通性をたかめるために発行されるものではないとしても、受益者の権利行使の簡便化(常に受益者に本券の所持を要求することは危険を強要し好ましくない)と委託者の支払事務を簡素化のために発行されたものであり、約款の規定は必しも十分でないとしても委託者において収益票の持参人に収益金を支払つたときは、その所持人が無権利者であつても、悪意又は重大なる過失のないかぎり免責される免責証券としての性質はこれを有すると解するを相当とする。

ところで、供託法第四条但書によれば、保証に代えて有価証券を供託した場合においては、供託者はその利息又は配当金の払渡を請求しうる旨を規定し、供託規則第三六条はその手続として保証のため有価証券を供託した者が利札を受け取ろうとするときは、第三一号書式の供託有価証券利札請求書二通を供託所に提出しなければならないと定めている。右規定は担保の効力が供託有価証券の利息、配当金には及ばないことを前提とするものであり、その趣旨は被控訴人も認めるように、供託法第四条本文により本らい供託の目的たる有価証券の償還金、利息又は配当金については供託物を受取る者の請求により供託所がこれを受取り供託に代え又は従として保管するのであるが、利札は右の利息、配当金そのものではないが、利札は本券から分離されると、本券と独立して利息、配当金の請求権を表彰する有価証券としてそれのみをもつて権利の行使をなしうることとなり本券がなくとも、これにより利息、配当金を受領しうるので法第四条本文によつて附属供託の請求をしたうえで同条但書の規定によつて払渡を請求するという迂遠な手続を経ることなく、直接に利札の払渡を受ければそれによつて同一の目的を達することとなるので、法第四条但書の趣旨により前示規則第三六条が設けられたものであると理解しうる。

被控訴人は、法四条但書により払渡の対象となるのは利息又は配当金を表彰する有価証券であつて利札又はこれに類するものに限られると主張する。たしかに利札が有価証券であることは疑がないが、右規定の趣旨が前叙のごときものである以上、たとえ有価証券としての性質は完備していなくとも、本券と分離独立して権利行使の認められる証券についてまでそれが有価証券ではないとの理由で同条項の適用外とする根拠に乏しいものといわなければならない。また被控訴人は収益票は、それだけでは収益請求権の行使ができず、収益金を請求するには供託されている本券である受益証券が必要であるというが、本件収益票は既に支払期の到来しているものであつて、免責証券としての性格を有し、すべての信託銀行において収益票を持参した者に対しては本券の呈示を求めることなく、収益金を支払う実務上の取扱が定着している(なお成立に争いのない甲第一五号証によれば東京手形交換所においては貸付信託の収益票については本券と独立して交換決済されていることも認められる)ことは前示のとおりであつて、既に支払期の到来した収益票は本件と独立して権利行使が一般的に認められているものというべきであるから右被控訴人の主張も失当というのほかはない。

そうだとすれば、本件収益票については供託法第四条但書および供託規則三六条により利札に準ずるものとして払渡を認めるのが相当であり、このように解しても担保権者の不利益にならないことはもちろん、供託実務の混乱をきたす虞もないものといわなければならない。

以上に説示のとおりであるからたんに本件各収益票が有価証券ではないとの理由により被控訴人のなした本件各収益票払渡の請求を却下した処分は違法として取消を免れない。

三、よつて、右と異なる判断のもとに右処分の取消を求める被控訴人の請求を棄却した原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 杉山孝 加藤宏 園部逸夫)

(別紙)

控訴人代理人

昭和四六年一二月二日準備書面

一、原判決が「有価証券は法的根拠がなければ設定し得ない」との論理的前提に立つていることは疑いない。しかし、この論理は全くの誤りといわなければならない。

すなわち、有価証券の法理は権利の発生・移転・行使の全部又は一部が証券によつて行われるものを有価証券として扱う、というのみであつて、いかなる権利を証券に表彰させるか、権利の発生・移転・行使のいずれを証券によつて行わせるか、有価証券にいかなる事項を記載すべきかの諸点については全く干渉していない。したがつて、右の諸点は有価証券を設定する当事者の意思によつて決定されるべきものである。こゝに当事者の意思とは契約・約款・取扱慣行その他によつて知られるのであるから、ある証券が有価証券であるか否かを判断するためには、契約・約款・取扱慣行などから当事者の意思を探求すべきであつて、法令にのみその根拠を求めることは根本的に誤りである。

もつとも法律は、一部の有価証券について特に一定の記載要件を要求しており(株券・貸付信託の受益証券・手形・小切手)、また有価証券のあるものについては権利行使を証券によつて行うよう強制し(株券)、他のものについては権利の発生・移転・行使の全部を証券によつて行うべきことを求めており(手形・小切手)、かくてこの限度において法律は当事者の自由な決定を拘束している。けれども、これらの拘束は権利者の保護・権利内容明確化の強い必要性など特別の考慮により法律が特別に規定したものであつて、これら特別規定のない場合には本来のところに立ち帰つて当事者の自由意思によつて決定されるべきことになる。

よつて、有価証券は法的根拠がなければ設定し得ないとの原判決の論理は誤りなのである。

二、原判決は「収益票は具体的収益金債権を表彰する有価証券ではなく、免責証券にすぎない」といい、その理由をあげているのでその理由の当否を検討する。

(一) 原判決は「法も約款も収益票の記載要件について規定していないからである」という。

よつて、検討するに<1>前記一のとおり、法が記載要件を規定していないことは、記載事項を当事者の自由な決定に任せたことを意味する。<2>約款が記載要件を規定していないことは、約款も亦拘束していないことを意味するにすぎない。よつて、この点は収益票の有価証券性を否定する根拠とはなり得ない。

(二) 原判決は「収益票から収益分配請求権を特定できるが、その権利内容を理解することはできない。その権利内容は証券外の事実にかゝつている」という。

よつて検討するに、有価証券理論における権利の「表彰」とは、証券上の記載によつて権利が特定されていることを意味するのであつて、証券の記載のみによつて権利内容が確知し得ることを意味するものではない。手形法一条・二条一項は手形上に一定の金額を明記することを要求しているが、これは手形における強度の取引安全の考慮から金額の明記を法律が特に規定したものである。すなわち、証券上の記載によつて権利内容が確知できることを要求されるのは手形法などの規定のある特殊な有価証券に限られるのであつて、一般の有価証券にあつては手形の如き要求はないから、当事者の自由な決定に任されており、したがつて証券の記載から権利が特定できれば足りるのである。

(三) 原判決は「具体的な収益金債権は権利発生の有無・金額の多寡が各計算期日毎に異なるからである」という。

よつて検討するに、本訴において問題となつている具体的な収益金債権は、いずれも各計算期日において収益が存在し、金額も確定しており、たゞ収益の存在及び金額が証券上に記載されていないというにすぎない。すなわち、本件収益金債権自体は何等浮動的なものではなく、確固として存在する権利である。

(四) 原判決は「権利行使と証券の利用関係について、約款二〇条があるのみで、法八条一項の如き規定がないからである」という。

よつて検討するに、前記一のとおり、法が権利行使と証券の利用関係について規定していないことは、権利の行使方法を当事者の決定に任せたことを意味するのであつて、法の規定がないが故に証券による権利行使が禁止されるのではない。

(五) 原判決は「具体的な収益金債権は受益証券に表彰されている」という。

よつて検討するに、原判決の右判示は矛盾も甚しいと評せざるを得ない。すなわち、原判決は収益票の有価証券性を否定する理由として(a)具体的収益金債権が証券上特定できるが、その権利内容を証券上から確知し得ない、(b)権利発生の有無・金額が各計算期日毎に異なると判示してきた。しかして受益証券は(a)具体的収益金債権の金額を証券上確知し得ないのみでなく、権利の特定さえなされていないし、(b)権利発生の有無・金額が各計算期日毎に異なる点は収益票の場合と同様である。そうだとすると、収益票の有価証券性を否定したのと同一の理由によつて、受益証券の(具体的収益金債権に関する)有価証券性も亦否定されなければならない筈である。

(六) 原判決は「甲七ないし一五号証は以上の解釈の妨げにはならない」という。

よつて検討するに、前記一のとおり、具体的収益債権の権利行使を証券によつて行なわせるか否かは、法律による拘束がない以上、当事者の自由意思で決定し得るのである。しかして当事者の意思は約款・取扱慣行等にあらわれているのであるから、これを探求するに、

<1> 受益証券から切りはなされた収益票のみを持参した者に対して、全ての信託銀行が収益金の支払をしている(甲八ないし一四号証)。

<2> 受益証券から切りはなされた収益票のみが交換所で交換決済されている(甲一五号証)。もし受益証券がなければ収益金の支払をうけられないとすれば、収益票のみによる交換決済はされない筈である。

<3> 約款二〇条によれば、収益金債権の行使は収益票によつて行なうのである。

<4> 収益票を紛失したときは除権判決を要する(約款八条二項)。収益票が単なる免責証券であれば除権判決を必要としないであろう。除権判決を要求されるのは収益票によつて権利行使が行なわれるからである。

よつて、甲八ないし一五号証等によれば、収益票は権利行使に必要な証券として発行されていることが明らかである。

控訴人代理人

昭和四七年二月三日準備書面

本件収益票が有価証券であることは控訴人46・12・2付準備書面のとおりである しかし、仮に有価証券でないとしても、控訴人の払渡請求は認められるべきである。すなわち、

一、保証として供託された有価証券についての利息・配当金に関する法令は次のとおりである。

1 供託法四条但書「保証金ニ代ヘテ有価証券ヲ供託シタル場合ニ於テハ供託者ハ其利息又ハ配当金ノ払渡ヲ請求スルコトヲ得」

2 供託規則三六条一項「保証のため有価証券を供託した者が利札を受け取ろうとするときは、第三十一号様式の供託有価証券利札請求書二通を供託所に提出しなければならない。」

二、法四条但書は、もとより供託所に対して利息・配当金を請求しうるという趣旨ではなく、利息・配当金の請求をなすのに必要な証券を供託所に対して払渡請求しうるという趣旨である。けだし、利息・配当金は供託者に属するのであるから、利息・配当金の権利行使に必要な証券を供託所が保管している場合にはこれを返還し、もつて供託者をして利息・配当金の権利を行使させてしかるべきだからである。

法四条但書が右の趣旨の規定であるとすれば、利息・配当金に関する証券(本券たる有価証券ではなく)が有価証券であると否とを問わず、たとえ免責証券であろうとも、およそ供託者が利息・配当金を取得するのに必要である限り、すべて払渡を認めるべき筋合である。したがつて、法四条但書が利息・配当金に関する証券の種別を規定していないのは、同法条が証券の種別を問わない趣旨と解しなければならない。

三、規則三六条は「利札」を払渡する場合の手続を規定している。思うに、規則三六条は法四条但書をうけて規定されたものであるから、右両規定の趣旨・内容に相違がある筈はない。しこうして法四条但書は利息・配当金に関する証券の払渡を許す規定であり、権利行使に必要であればよく、その証券の種別を問わない趣旨であるから、規則三六条の「利札」とは、有価証券であるか否かを問わず、およそ利息・配当金の権利行使に必要な証券を指すものと解しなければならない。

ひるがえつて考えるに、規則三六条の利札についての右定義は決して特殊な解釈ではなく、極めて一般的なものである。すなわち、利札とはもともと右のような利息・配当金の権利行使に必要な証券全般を指すのであるが、たゞ各種利札の中には国債・社債のように法令によつて義務づけられた結果有価証券として発行されたものも存在する。しかし各種利札の中に有価証券として発行されたものが存在するからといつて、利札が全部有価証券であると解するのは速断のそしりを免れないのである。原判決の誤りはこの点に存する。

もし規則三六条の利札が有価証券に限ると解すると、規則(省令)によつて法律を改変できないから、規則三六条は、法四条但書が予想したもろもろの証券のうち有価証券たる利札のみに関する払渡手続の詳細を規定した、と解すべきことになる。したがつて、利息・配当金に関する証券で有価証券でないものについては、第三十一号様式による請求書二通を提出することなく払渡を認められる、という結果になる。

四、本件収益金債権を行使するためには収益票が必要であり(約款二〇条)、約款を喪失したときは除権判決という煩鎖な手続を経なければならず(約款八条二項)、実務上の支払手続も、本券たる受益証券を必要としないが必ず収益票を要求している(甲八ないし一四号証)。

また、約款八条二項において収益票につき公示催告・除権判決手続を行う旨規定されているのであるが、民法施行法五七条は指図証券・無記名証券・記名式所持人払証券について公示催告手続を認めており、発行当事者は右規定を当然の前提として約款を作成している筈であるから、本件収益票は有価証券であるか否かはしばらく措きこれらのいずれかの証券に該当するものとして発行されたことに疑いない。

右のとおり、控訴人は本件収益票の払渡を受けなければ収益金の支払を受けられず、ついには収益金債権は時効消滅する事態に陥るのであるから、本件収益票は当該収益金債権を行使するにつき必須の証券というべく、法四条但書・規則三六条により払渡を認められるべきである。

五、一方供託所の立場はどうであろうか、もし有価証券でなければ払渡を認めぬとすると、保証の目的が消滅して供託者が供託物の返還を受ける場合にも、本券たる受益証券だけしか返還してもらえないことになる。また、供託有価証券が被供託者の手に渡る場合にも、それ以前に発生した収益金債権は供託者に属するにも拘わらず、供託者は当該収益票の返還を受けられないことになる。結局被控訴人及び原判決の考え方は、供託所はいつたん受け入れた収益票を永久に保管しつゞける、というに帰するのであるが、供託所がこのような処置をとる利益と必要がどこに認められるであろうか。

控訴人代理人

昭和四八年三月二七日準備書面

一、収益票が有価証券であることの論拠はすでに主張したとおりである。こゝでは、次の一点を補足する。

収益票には収益金額が記載されてはいない。しかし、そのことは、収益票が有価証券でないという理由にはならない。

すなわち、一定の権利を表彰するのが有価証券である以上、有価証券の券面には一定の権利が記載されていなければならないことは当然である。一定の権利を記載するとは、当該権利を他の権利との混同が生じない程度に「特定」することにほかならない。しかして、権利を特定する方法としては、当該権利の内容・属性などのうち比較的特徴的な一部を選んで掲記するのが一般であつて、それらの全てを掲げなければ権利を特定し得ないというものではない。

このことは、債権の差押・譲渡関係の書類における対象債権の記載についての実務を見れば明らかである。特に差押対象債権が銀行預金債権である場合に、債権金額が記載されない例が多いことも参考となろう。要するに、債権金額は、債権を特定する要素の一つとなり得るけれども、これの記載がなけれは債権が特定できないといつた性格のものでは決してないのである。

なお、手形法・小切手法は手形金額を券面上に明記することを要求しているが、これは手形・小切手の高度の流通性を考慮した特則であつて、金額を券面に明記することは有価証券一般の性格ではない。むしろ、手形法・小切手法のような特則が存在することは、金額の記載が有価証券一般の性格でないことを示すなによりの証拠である。

さて、本件収益票には(イ)「三菱信託銀行株式会社・第一二一回ろ号貸付信託受益証券・金壱万円券収益票」と記載され、これによつて<a>債務者名、<b>貸付信託契約に基づく債権であること、<c>右貸付信託契約は右信託銀行が第一二一回目に募集し締結された契約であること、<d>本収益票に対応する受益証券の額面が金一万円であること、<e>これが収益票であることが明らかにされている。(ロ)「昭和〇年〇月〇日渡しと記載され、これによつて収益金計算日が明記されている。(ハ)「ろ5B第一二一三三号」と記載され、これによつてこの収益票と受益証券との対応が明らかにされている。具体的な収益金債権を特定するのに、これ以外の何が必要であろうか。右の記載によつて、本件収益票には具体的な収益金債権が記載されていることは疑いなく、他の種類の権利及び他の具体的収益債権と混同が生じる余地のないことは明白である。すなわち、本件収益票には一定の具体的収益金債権が特定されているのである。

そして、具体的な収益金の分配率は日本経済新聞に掲載される旨約款(二七条、一七条)に明記してあるから、収益金額は右の分配率を収益票掲記の受益証券券面額(一万円)に乗ずることによつて容易に算出されるのである。このように収益金額を知ることは極めて容易である。

以上のとおり、収益金額が収益票に明記してないからといつて収益票の有価証券性を妨げるものではないのである。

二、仮に収益票が当初有価証券として発行されたものでないとしても、商慣習によつて有価証券となつたものである。すなわち、受益証券と切離された収益票と引換に当該収益金が支払われているのが、三菱信託銀行をはじめとする七信託銀行の実際の取扱になつている(甲八~一四号証)。また、社団法人東京銀行協会の交換所においては、受益証券から切離された収益票が、独立に交換決済されている(甲一五号証)。以上のとおり、収益票は受益証券と独立して権利行使されているのが実際であり、換言すれば収益票は実際には有価証券として取り扱われているのである。よつて、仮に収益票が当初有価証券として発行されたものでないとしても、既に商慣習によつて有価証券たる資格を取得したものである。

被控訴人代理人

昭和四七年四月一八日準備書面

被控訴人は、控訴人の昭和四七年二月三日付準備書面による主張に対し、つぎのとおり反論する。

一 第二項について

(一) 控訴人は、供託法四条但書は、もとより供託所に対して利息・配当金を請求しうるという趣旨ではなく、利息・配当金の請求をなすのに必要な証券であれば、有価証券であると否とを問わず供託所に対して払渡請求しうる趣旨であると主張する。

しかしながら、右主張は以下述べるとおり失当である。

右供託法(以下法という。)四条但書は、いうまでもなく、同条本文をうけて規定されたものであるが、右本文には「供託所ハ供託物ヲ受取ルヘキ者ノ請求ニ因リ供託ノ目的タル有価証券ノ償還金、利息又ハ配当金ヲ受取リ供託物ニ代ヘ又ハ其従トシテ之ヲ保管ス」と規定されているのであるから、右但書をその本文と関連させて解釈すれば、本文の規定によつて供託所が受取り、供託物の従として保管する(所謂附属供託)利息又は配当金は、保証金に代えて有価証券を供託した場合には、払渡を請求することができる旨規定されていることは明らかである。したがつて、右但書に規定する「其利息又は配当金」というのは、本来は、供託所が法四条本文によつて保管する利息又は配当金たる現金又は有価証券(法一条参照)を指しているのである。

ただ、利札は、右の利息・配当金そのものではないが、利札が本券から分離されると独立の有価証券となり、利息・配当金の請求権を表彰する有価証券として、それのみをもつて権利の移転、行使をなしうることとなり、本券がなくとも、これにより利息・配当金を受領しうるので、法四条本文によつて附属供託の請求をした上で、同条但書の規定によつて払渡の請求をするという迂遠な手続を経ることなく、直接に利札の払渡をうければ、それによつて同一の目的を達することとなるので、法四条但書の趣旨により供託規則(以下規則という。)三六条が設けられ、その払渡が認められているのである。

したがつて、法四条但書の趣旨から払渡請求のできるものは、本来の利息・配当金の外は利息又は配当金を表彰する有価証券であつて、利札またはこれに類するものに限られるのであつて、控訴人の主張するように利息・配当金に関する証券が有価証券であると否とを問わず、たとえ単なる免責証券であろうとも、およそ供託者が利息・配当金を取得するのに必要である限り、すべて払渡を認めるべき筋合であるというのは失当である。

(二) 控訴人は、利息・配当金は供託者に属するのであるから、利息・配当金の権利行使に必要な証券を供託所が保管している場合にはこれを返還し、もつて供託者をして利息・配当金の権利を行使させてしかるべきであると主張する。

しかしながら、本件にあつては、収益票は有価証券ではないので、それのみをもつて収益請求権の行使ができず、収益金を請求するためには、供託されている本券である受益証券を必要とするのであり、収益票のみの払渡を受けたところで、法的にはそれのみで収益金を請求できないのであるから右主張は失当である。

もつとも、実務上収益票のみで収益金の支払をする取扱をしているかのごとき証拠もあるがこれは誤つた取扱であり、かかる取扱は各取扱者が自己の危険において行なつているに過ぎないものである。

二 第三項について

(一) 控訴人は、規則三六条の「利札」とは、有価証券であると否とを問わず、およそ利息・配当金の権利行使に必要な証券を指すものと解しなければならないと主張する。

しかしながら、前述のとおり利札が本券から分離されると独立の有価証券となり、その表彰する権利の移転・行使がそれによつてなしうるものであるが故に、特に法四条但書の趣旨によつて払渡が認められるのであり、右法四条但書、規則三六条が有価証券でない証券の払渡を許すものでは勿論ない。有価証券でない証券については、これを払渡す何等の法的根拠もないのである。

また、「利札」は学説上も分離されると有価証券の性質を有するものと解されており、有価証券でない利札もあるとする控訴人の主張はいささか強引に過ぎるものである。

(二) 控訴人は、規則三六条の利札が有価証券に限ると解すると利息・配当金に関する証券で有価証券でないものについては、第三一号様式による請求書二通を提出することなく払渡を認められる結果となると主張する。

しかし、前記二(一)で述べたとおり利息・配当金に関する証券で有価証券でないものについては、これを払渡す何等の法的根拠もないのであるから、右主張は明らかに失当である。

三 第四項について

控訴人は、本件収益票の払渡を受けなければ収益金の支払を受けられず、ついには収益金債権は時効消滅する事態に陥いるから法四条但書・規則三六条により払渡を認められるべきであると主張する。

しかしながら、法四条但書・規則三六条により収益票のみの払渡の請求はできなくとも、民事訴訟法一一六条の規定により担保物の変換をなしてその結果取戻した受益証券および収益票をもつて収益金の支払を受けることもできるし、法四条本文の規定による附属供託の請求をして、供託所が受領した収益金を、法四条但書の規定により、払渡しをうけることもできるのであるから、収益金債権の行使に支障はないのであつて、控訴人の主張は失当である。

四 第五項について

(一) 控訴人は、もし有価証券でなければ払渡を認めぬとすると、保証の目的が消滅して供託者が供託物の返還を受ける場合にも、本券たる受益証券だけしか返還してもらえないことになると主張する。

しかしながら、前記三において述べたとおり、控訴人は、収益金債権が時効により消滅するのを阻止する手段を有しているし、取戻の際は分離されていない収益票は受益証券と一体をなしているのであるから、共に返還されることはいうまでもないことである。

(二) 右は、供託有価証券が被供託者の手に渡る場合でも同一であり、分離されていない収益票は、受益証券と共に被供託者の手に渡ることとなる。

(三) したがつて、供託所はいつたん受け入れた収益票を永久に保管しつづけるということはないのであるから、控訴人の主張は失当である。

五 以上要するに、本件収益票が有価証券でなければ、法第四条但書、規則三六条の規定によつて、それが直接払渡されることはないのである。

被控訴人代理人

昭和四八年五月二二日準備書面

被控訴人は、控訴人の昭和四八年三月二七日付準備書面第二項についての主張に対し、従前の主張を補足しつつ、さらにつぎのとおり反論する。

控訴人は、貸付信託受益証券の収益票が当初有価証券として発行されたものではないとしても、商慣習によつて有価証券たる性格を取得したものであるとして、各信託銀行および東京銀行協会の手形交換所の取扱いを述べているが、これらは次に述べるようにいずれも理由のないものである。

一 各信託銀行は収益票のみを持参した者に対して収益の支払を行なつている模様ではあるが、これは単に信託銀行が受益証券の呈示がない場合でも、受益者の便宜のため、自己の危険負担において支払をしているにすぎないのであつて、これをもつて、収益票が即、有価証券性をおびるものではない。

ちなみに、貸付信託受益証券の収益票と同じ性格を持つ投資信託受益証券の収益金交付票あるいは分配金交付票については、学説においても従前から有価証券性を否定していることは乙第二号証の一ないし三、乙第三号証の一、二に示すとおりである。

二 控訴人は、収益票が東京銀行協会の手形交換所において独立して交換決済されている事実から有価証券たる性格を取得していると主張するが、東京手形交換所規則第二二条第二項によれば、「利札、郵便為替証書、配当金領収証、その他金額の確定した証券で、当該銀行において領収すべき権利の明らかなものを交換に付すことができる」と規定されており、配当金領収証のような有価証券でないものも交換に付されているのである(乙第四号証の一、二参照)。つまり、手形交換所において交換決済されている証券は唯一有価証券に限るものではなく、収益票も非有価証券として交換決済される一つにほかならない。従つて、手形交換所において交換決済される証券であれば、有価証券であるという理論は成立せず、控訴人の主張は失当である。

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